漢字バカ200撰

漢字が好きなので、書と漢字の成り立ちから話を広げるブログ。広がらない時は、別のことを。

心は、鏡。

昨夜、人に悪口を言われて悲しんでいる人がいました。

 

捉え方にもよるのだけれど、
聞いた本人の気分が悪くなるのであれば、
それは往々にして「悪口を言われた。」
と、その人の中ではなかなか忘れることのできない事実になります。

 

傷つく。のです。

 

なぜ、傷ついたと思うかといえば、
それは、親が、人を傷つけるようなことをしてはいけない。
と、教え込んでいるからで、
親だけではなく、大人、教師のほとんどは、
子供にそう言いふくめますし、
大多数がそうだから、そうしちゃいけない。
とも、心に刻むのでしょう。

けれども、成長するにつれ、
傷つく度合いも回数も、またその逆も、
関わる人が多くなれば多くなるほど、
その摩擦によって生じる事態の数も比例してきます。

 

とある人は、何かに誰かを誘って、断られたことに傷つき、
ある人は、人に何かを尋ねられて、その回答を否定されたことに傷つき、
ある人は、言葉ではなく、

ふとした雰囲気のボタンのかけ違いで感じ取った、

仕草や態度で傷つきます。

こう考えると、傷つかずに生きることすら、

本当は不可能なのではないかとも感じます。
傷ついた人は、その傷を癒すために、どうにか落とし所の深い、理由を探します。
相手が実は勘違いしていたのではないか。
相手が間違っていたのに、自分を辱めたのだから、
本当は付き合うべき人間じゃないのではないだろうか。

人としてどうなの?

、、、どうも、自分に都合の良い考え方をしがちです。

けれども、傷つくということは、
死ぬまで続きます。

いや、毎日ではありませんよ。

でも、いちいち傷ついて、自分の何かをその度に奪われて、

そこを恨みつらみで埋め合わせるとするならば、
いずれ、自分というものは完全になくなって、
他人から得た恨みつらみで自分が出来上がってしまいますよね。

それって、美しくない。

 

かたや、傷つける側というのは、
ほとんどの場合、甘えが強く、小心者であり、
条件が揃わないと、腹を割れません。
要するに、傷つける対象よりも、傷つくのが怖い人間だからです。
さらにいうと、失敗を繰り返してきてしまった人がとても多いことに気づきます。
実は、人を傷つけるたびに、「またやってしまった。」
と後悔する人ならばまだ良いのですが、

末期的になると、それさえ感じられなくなります。

 

ただし。

 

最初にお話ししたように、
捉え方。というものも関係してきますから、
それが、叱責なのか、悪口なのか、陰口なのか、妄語なのか。
そして、苦言なのか激励なのか。

傷つきたくないと願うならば、
捉え方を鍛えるしかありません。

 

屁とも思わない心。

 

思う以上に、人が人と関わるというのは、
タフな作業の連続です。

鉄板のような、強固な壁で相手がぶち当たってくることを待ち構えるか。
真綿のような、柔らかさで相手の言動を、一度は捉えてみるか。

包み込めとは、僕も言いません。

ただ、自分を大切にするというのは、
大切にしよう!という誓いだけではどうにもなりません。
心には工夫が大切です。

心をどう保つかといった書籍もたくさん販売されています。
それを読み漁るのもいいでしょう。
徹底的に読めばいいと思います。


そうしているうちに、きっと、ある感情にたどりつくからです。

俺は、なぜ、そんなに心というものに怯えているのだろうか。

そんな、疑問にも似た、回答です。

心は鏡。

それに何が映ったとしても、鏡自体の価値も佇まいも、
変わることはありませんからね。