漢字バカ200撰

漢字が好きなので、書と漢字の成り立ちから話を広げるブログ。広がらない時は、別のことを。

琥珀色した飲み物。

毎日、どうしてもこれだけはなきゃダメ!

というものが、僕にとっては、

珈琲です。

 

どんな豆の、どんな味の。

というのは特にはありません。

というよりも、そこまで考えて飲んでいないからかもしれませんが、

僕の周りには、いつの間にか、その道のプロフェッショナルが、

たくさん存在するようになりました。

 

人には、どんな仕事にもスタイルというものがあります。

 

「でも、基本はみんな同じなんだよ。

みんな、提供したいと思う姿は違うけれど、

いいものを出したいと思うのは一緒だからね。
だから、基本は大切なのさ。」

とは、初めて巡り合った、豆の焙煎をされている、

僕の大切な恩人からの言葉です。

子供の頃、家庭ではコーヒーとコーラは固く禁止されていました。

眠れなくなる。骨が溶ける。

など、真実のほどはわかりませんが、

おそらくカフェインが良くない。

ということだったのでしょう。

なんでもそうですが、過剰摂取は体に毒です。

 

ただ、珈琲に対しては、僕もちょっと依存気味かもしれませんね。

 

高校生の時に、制服のまま入ることができてタバコが吸えて、

ともかく、いい音楽がかかっていて、

自分がホッとできる場所を探していた時に、

巡り合った一軒のお店なのですが。

 

インスタントや缶でしか飲んだことのなかった小僧に、

目一杯手間と愛情を注いで、一杯のコーヒーをサーブしてくださる。

ハンドドリップという言葉なんて知るはずもなく、

その頃テレビで流れていた缶コーヒーのCMで、

“粗挽ネルドリップ”という言葉をようやく知った頃でした。

一滴一滴音も立てずに、慎重に落とされるお湯によって、

まるで魔法のように、

むくむくと膨れ上がる粉末を撫でるように沸き上がる湯気に、
えも言われぬときめきを感じながら、

じっと見つめたものでした。


外は雨で、古い喫茶店のトタン屋根を、バラバラと打ち付けます。

言葉少なな接客を貫くマスターがふと、

窓を開けて、当時ではもう珍しかった両開きの雨戸を左右に押し拡げると、

タバコの煙が戸外へ流れ出てゆくさまを追いかけるように、

なだらかで軽やかなリズムで、ジプシーキングスが聴こえてきたのを、

いまでも鮮明に思い出すことができます。

 

雰囲気で生きている時が、僕には多々あります。

 

それに流されて、間違ってしまったことも多々あります。

 

大いに反省をしておりますが、後悔はしていない。

というのが、今の本音です。

 

そこにはいつも、忘れることのできない、

鮮明で、色褪せることもない時間がまだ、

僕の心の中には流れているからです。

 

珈琲の存在とは、いつもそのような魔力みたいなもの。

 

忘れる。ということの大切さを、躰が知っている限り、

忘れたくない。という抗いを手助けしてくれる。

 

誰にとっても大切な一日。

 

全てを覚え続けているのは、とっても苦しいことだけれど、

忘れないための鍵。のようなものは、

誰にでもあるようですね。