漢字バカ200撰

漢字が好きなので、書と漢字の成り立ちから話を広げるブログ。広がらない時は、別のことを。

グレイテスト・ショーマン

昨日、久しぶりに、感動してきました。

 

普段、いろんなことに感動できるような心持ちがあれば良いのですが、

余裕もないと感動も出来ないものなのでしょうか?

 

いえいえ、余裕のない時ほど、感動を求めるべきです。

 

そんな風に感じた昨日でした。

 

「The Greatest Showman」


差し障りのないところで、お話しすると、

アメリカの一番いい形でのエンターテインメント・ミュージカル。

何より、主演のヒュー・ジャックマンの歌唱と演技、特に表情。
それぞれの演者の個性が、あちこちで炸裂する時間の連続。
そんな中でも、泣き所がいくつか隠されていて、
まんまと気持ち良く泣かされてしまいます。
お伝えするまでもありませんが、
音楽が素晴らしかった。
ミュージカルは少し敬遠しがちなジャンルなのですが、
観ることができてよかったな。と、心から感じる作品でした。

 

アメリカ映画の絶望から這い上がってくるお話は、
アメリカンドリームと良く呼ばれていますが、

数ヶ月しか滞在したことのない僕が言うのもなんですが、
民族的な性格もあるけれど、結束の意味も、愛の意味も違うから、

当然、人との関わり方や他人への踏み込み方も違う。

そう考えると、彼らの民族性や風土を考えると、

そういったことが、
難しいこととは知りつつも実現の可能性が高いお国柄なのでしょう。

個の特性を活かして群れをなすことと、
群れの特性に合わせて個を変えてゆくことは大きく違っていて、
そこには、敬意が根底に根付いているかどうかが鍵になってきます。

 

お国柄として区別はできませんし、

どんな社会にも言えることですが、

日本を考えると、敬意と呼ばれる尊敬と、
崇拝が履き違えられているのではないかと、
たまに頭をよぎることがあります。

尊敬とは、尊重のことであり、
相手の丸ごとを引き受け、あるがままを理解する。

ということなのですが、

会ったこともない対象や、
見たこともないものを無条件に崇め奉ること。
これは、崇拝と言います。
よって、会ったこともない人、身近でもない人、
この世に存在しないものを尊敬する。
というのは、実はちょっとおかしなこと。

有名人に、もし出会えた時には、
「お会いできて光栄です。尊敬しているんです。」ではなく、

「憧れていたんです。」が、正しい使い方ですよね。
その人になることは絶対にできないので、

何に憧れていたかというと、

「出会うべき時がやってくることに、憧れを持っていた。」

ということになります。

だから、「憧れ」は「焦がれる」が変化していった言葉だとも言われています。

 

あなたと私は違う人間です。
だから、違う人間としてこれから仲良くしてください。

というスタンスを、仏教では「平等覚(びょうどうかく)」と言うのだそうです。
アメリカで出会った人々から感じたのは、
日本人よりもむしろ、この感覚を当然のように備えておられるな。
ということです。

他を大切にするということは、

決して、他に合わせるということではなく、

互いの違いと適切な距離感を大切にするという意味です。

 

その距離は、月と地球のように、

いつも同じではありません。

 

人にも引力という力が存在しますから、

弱っている時は遠ざかるし、強くなっている時は引きつけます。

でも、弱くなっていても、強くなっていても、

そんな相手の幸福とあるがままを思い願う心。

ということが、尊敬だとも、愛だとも僕は考えています。

 

大きくは、そんなことをまた教えてもらった作品でした。