漢字バカ200撰

漢字が好きなので、書と漢字の成り立ちから話を広げるブログ。広がらない時は、別のことを。

鶏 寒さはこれから

雨が降ったり、道路が凍ったり。

そんなのを繰り返して、札幌の冬は厳しさを増してきます。

ところで、札幌では大事故があり、

全国的に報道されまして、ご心配のメッセージをいただきました。
ありがとうございます。
だいぶ遠いところでしたので大丈夫でした。

でも、馴染みのある場所ではあったので、心配でもありました。

幸い、亡くなった方がおられなかったのが、不幸中の幸いとも思います。
ただ、怪我をされた方々、被害に遭われた近隣住民のみなさまに、
心よりお見舞い申し上げたく思います。

今月に入ってから、週末はタクシー難民が出現したり、
年に数回しかない繁忙期を、札幌の飲食店は迎えています。

そんな僕も、二年ほど前までは飲食店を営んでいました。
だから、この時期の集客はとても大切でしたし、
この少ないチャンスで、どのようにお店を知っていただき、
のちに長くご利用いただくか。というのが、
命題です。

お店にもよりますが、そこには魅力的なPOPやポスターが戦力になります。

一人前のオーダーをいかに二人前いただくか。
美味しさや、メニューへの思い入れをいかに伝えるか。
そして、その動作をいかにスムースに実現できるか。

現物を写真に収めてお見せするのが一番てっとり早いのかもしれませんが、
季節によってメニューが変わりやすいお店の場合、
そのメニューを作るだけでも、相当な経費がかかります。
大手のチェーン店であれば、それ専門の部署もありますが、
個人店ではなかなか難しいですよね。

オーダーしたものが運ばれてくるまでのワクワク感。

これを演出できれば、十分、文字でも感情の底上げができるかと思います。
もちろん、期待以上の味であることが必須ですが。

そんな中、先日、店内のポスター製作のご依頼を承りました。

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輪鷄の水炊き

 

札幌で、本格九州料理屋を営んでおられる「輪鷄(わどり)」さんです。
実は、この絵はかれこれ13年ほど前に描いたものなのですが、
ようやく日の目を見て、誰かのお役に立てた作品となりました。
その時役に立たなくても、いずれどこかで必要とされる。
それを信じて作品をストックしてゆくことは、
音楽でも、絵画でも、文芸でも大変重要なことだと思います。
喜んでいただけて、よかったなぁと思っています。

これは、僕の失敗談が元にもなっていますが、
お店側が買って欲しいものと、お客様が買いたいものとを一致させるには、
それなりの接客数を経験していないと、
「勘」がうまく働いてくれないことが多々あります。
僕には、お店の人間として「売りたい」という意識が先行しすぎて、
「わかりやすさ」が欠けていたのだと思います。

お店は、ある意味、一つのコミュニティでもありますので、
そこに集うお客様によって、キャラクターというものが作られて行き、
そういったお客様が、長くお店を愛し通ってくださるものです。
やはり、キャッチボールがすべてなのではないかと考えています。

輪鷄さんには、僕の作品をたくさん展示していただいており、
その雰囲気が、お客様の期待感から満足感へとつながり、
さらにはご商売の繁盛へと至れば、僕はそれだけでとっても作家として幸せです。

本日もお読みいただき、ありがとうございます。合掌

 


ご用命はこちらまで。

亥 



中国では、「猪」と言う干支。
どっちかというと「豚」に近いみたいです。

意外と、運勢とかを気にするのは、信仰などの要因もあるかもしれませんが、

もう、慣習のような気もしています。

 

来る年は、亥年

亥の八白中宮と呼ぶ人もいるようで、

破壊と誕生、再生が混沌と生ずるのだとか。

 

亥は、陽炎の化身である「摩利支天」の遣いだと言われています。

摩利支天の仏像の多くは、亥の背に立っています。

摩利支天は、武運、勝負運を司り、
そのことから、多くの武士の信心を集めてきました。

武田信玄の家臣、山本勘助もその一人で、

懐に摩利支天の小さな像を忍ばせていたと言います。

陽炎の化身だけに、濡れず、傷つかず、切られず。

あやかると言うのは、それだけ必死だったとも捉えることができます。

僕は、あやかったり、げんを担いだりすることがそんなに悪いことだとは思いません。

むしろ、自分の何かを打ち立てるためには、

なんでもいいから、その根拠があって然りだし、

他人の理解を得なくてもいいものだとも思います。

 

幸せであれば、なんだっていいんですよね。

 

そんなわけで、毎年ですが、一年の幸せを僕なりに祈って、
毎年こんなものを作っています。

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亥 暦

全手書き、手仕上げです。

だいたい、ご注文される方は毎年決まっているのですが、
僕なりに、その人の幸せな毎日を祈っていたいな。
同じ毎日なんてありえないし。
そんな気持ちから、最初はプリンターで暦部分を出力していたのですが、
ここ数年は、手書きにしています。

ご興味がある方は、こちらをどうぞ。

人のために一つでも、何かができるって幸せなことです。

本日もお読みいただき、誠にありがとうございます。合掌

生 自分はだれか。

今年は、近年稀に見る数の命名書をこしらえさせていただいております。

少子高齢化が叫ばれる中、

また、僕自身が子供どころか、結婚すらしていない現状を踏まえると、

感慨深い制作の毎日です。

3月くらいまで、定期的に命名書のご予約を賜っており、

数をこなせるというだけでも、深い経験につながってゆくだけに、

この制作に大きくて柔らかな幸福感を味わっています。

 

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岳洋

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岳洋 裏


僕の教室の初めての講義では、まず自分の名前を筆で大きく書いてもらいます。

大人も、子供も一緒です。

一字一字の意味や成り立ちをその後解説します。

踏まえて、もう一度書いてもらうと、まるで字体が変わっているのがわかります。

それは、自分を少し丁寧に扱いたいな。

という、小さな自己愛の芽生えだと思います。

自己愛は、ナルシシズムではなく、己を客観的に大切に扱うということ。

独善的とはまるで違うものです。

どんな親も、たくさんの思いを込めて名をつけています。

不幸にも肉親から名をもらえなかったとしても、

名付けた親は、それも親であり、その子の幸せに思いを馳せるものだと思います。

思いを馳せる。とは、祈りのことです。

祈る側、祈られる側の思いの一致が、歩む道を照らす燈になると、

僕は自分の経験からも、生徒さんからも教わりました。

 

人は、道に迷うために歩いているのではないかと思うくらい、

困難と選択と決断に満ち溢れています。

知識も経験も必要ですが、自分は誰か。

という問いに答えてくれるのは、いつも名前であるのだと、

そう感じています。

 

大きくなって、彼らが道に迷った時に、自分で答えを出さねばならぬ時に、

少しの手助けになれれば。

そんな思いで、命名書をしたためています。

 

今日はこの辺で。

お読みいただきありがとうございます。合掌