漢字バカ200撰

漢字が好きなので、書と漢字の成り立ちから話を広げるブログ。広がらない時は、別のことを。

生 自分はだれか。

今年は、近年稀に見る数の命名書をこしらえさせていただいております。

少子高齢化が叫ばれる中、

また、僕自身が子供どころか、結婚すらしていない現状を踏まえると、

感慨深い制作の毎日です。

3月くらいまで、定期的に命名書のご予約を賜っており、

数をこなせるというだけでも、深い経験につながってゆくだけに、

この制作に大きくて柔らかな幸福感を味わっています。

 

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岳洋

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岳洋 裏


僕の教室の初めての講義では、まず自分の名前を筆で大きく書いてもらいます。

大人も、子供も一緒です。

一字一字の意味や成り立ちをその後解説します。

踏まえて、もう一度書いてもらうと、まるで字体が変わっているのがわかります。

それは、自分を少し丁寧に扱いたいな。

という、小さな自己愛の芽生えだと思います。

自己愛は、ナルシシズムではなく、己を客観的に大切に扱うということ。

独善的とはまるで違うものです。

どんな親も、たくさんの思いを込めて名をつけています。

不幸にも肉親から名をもらえなかったとしても、

名付けた親は、それも親であり、その子の幸せに思いを馳せるものだと思います。

思いを馳せる。とは、祈りのことです。

祈る側、祈られる側の思いの一致が、歩む道を照らす燈になると、

僕は自分の経験からも、生徒さんからも教わりました。

 

人は、道に迷うために歩いているのではないかと思うくらい、

困難と選択と決断に満ち溢れています。

知識も経験も必要ですが、自分は誰か。

という問いに答えてくれるのは、いつも名前であるのだと、

そう感じています。

 

大きくなって、彼らが道に迷った時に、自分で答えを出さねばならぬ時に、

少しの手助けになれれば。

そんな思いで、命名書をしたためています。

 

今日はこの辺で。

お読みいただきありがとうございます。合掌