漢字バカ200撰

漢字が好きなので、書と漢字の成り立ちから話を広げるブログ。広がらない時は、別のことを。

アメリカンブルー

文化とは一体なんだろう。と考えることがあります。

 

“総じていうと、人間が社会の成員として、

獲得する振る舞いの複合された総体のことである”

 

と、ウィキには書いてあります。

 

ちょっと言葉が難しいですね。

 

この文面からすると、多数が集って初めて文化と呼ばれるものになる。

と、解釈できます。

 

一般に、芸術において文化という言葉を用いることが多いように思いますが、

人間の生業、営み、地域、風土、そういったコミュニティの成立に対して、

こう呼ぶようです。

 

どうして僕が、

 

「文化とは、、、。」

 

と考えたかというと、昨日今日始まったことではなくって、

何かと何かが繋がって、セットで僕の中では一つ。と考えているものが、

結構あるからです。

僕の不器用さはここから来ているのかもしれません。

 

例えば、パソコンとキーボードがワンセットになっているように、

牛丼に卵はワンセット。

 

紙とペンがワンセットであるように、

ブーツとスキニージーンズはワンセット。

 

それを文化というのかどうかはわからない(というよりは嗜好かな?)けれど、

何かによって何かが成立したものが集まっている。

 

そんなところでしょうか。

さて、話を元に戻すと、

今日、こんな曲を耳にしました。

ボビー・コールドウェル Heart of Mine

 

深い深い、青。

 

この曲を聴くと、スゥッと心に黄昏過ぎた頃の街並が現れます。

 

これは、朝に聴いたとしてもそうなのでしょうが、

ふとした時にでも自分で選んでいるときでも、

夕方以外に耳にしたことは今までありません。

 

なぜ、この情景が心に降りてくるのか。

その原因を僕は知っていて、とても単純なのですが、

昔見たタバコのCMです。

パーラメント」という銘柄のCMで、

素晴らしい映像でしたし、何より、
ナレーションの長塚京三さんの声が、とっても素敵でした。
“未成年の喫煙は禁じられています。”
と、最後にテロップが出るのですが、

その度に、「早く大人になりてぇなぁ。」なんて思ったものです。

 

大人になって、タバコの煙の向こうにウィスキーがあって、

透明感に溢れた何処かの国の知らない音楽があって。

 

だから、僕の過ごす夜にはこの三つがどうしても必要で。

あの頃僕は、もっと自分を愛せていたかも。

 

それをひょっとしたら、文化というのかもしれないな。と、思ったわけです。

もう遠い昔にですが。

 

時が流れて、今となっては、タバコのCMもなくなり、

それどころかタバコそのものが嫌われる時代になって、

飲酒人口も減って。

でも、そんな時代が確かにあったし、そこを生きたのですね。

 

喫煙文化を生きてきた。と、ひとくくりにされますが、

その背景にはそれぞれの思い出や、
事実がほんの小さなことの中に詰まっているものです。

常に自分を認めてもらっていないと気が済まない人も世の中には実在します。

けれども、それとは真逆に、

誰にも認められなくても、全く気にしない人も世の中には大勢います。

 

思い出とは、今、ダメな自分が初心に還るためにどうしても必要な情景。

文化とは、
そういった人々をちょっとだけ慰めてくれる言葉のようにも思います。

 

タバコをやめられない人間は意志が弱い。

だからダメな人間だ。

タバコを吸う人間は、常に何かに依存している。

だからダメな人間なんだ。

 

すいません、ダメな人間で。

 

でも、人格まで否定されては困っちゃうんだよなぁ。

いいよ。俺は迷惑のかからない場所で、

この自由と、この文化を生きていくからさ。

 

なんて嘯いてみても、

僕のそばには、よく似た友がたくさんいるのです。


これも、文化の始まりなのかもしれませんね。