漢字バカ200撰

漢字が好きなので、書と漢字の成り立ちから話を広げるブログ。広がらない時は、別のことを。

若さは失えど、手に入るものとは?

アンチエイジング

 

というどうにも耳障りな言葉がここ数年、

世間を賑わせていました。

 

どうやったって、老化は避けられないのだけれど、

それを否定したり、嫌悪するかのような表現と乱用は、

消費者に根拠のない危機感や恐怖を与え、

この言葉をスーパーのPOPや雑誌の見出しに使われると、

僕は無条件にげんなりしたものです。

もうこの言葉は死んだも同然。

 

僕自身の話をすると、

前述のブログにも幾つか書いたように、

社会不適合者であることには、多分間違いなくって、

親には「お前は生まれてきた時代を間違えたな。」

と、よく苦笑されます。

本当は自分の何かが、決定的に欠けているだけなんですが。

それは、どの時代に生まれようとも、

同じことだと感じます。

 

そうは言っても、人には劣等感や引け目や負い目を感じている限り、

小さな救世主を日々探して生きるものです。

ヒトにも、モノにも。

それだけ、人知れぬ大きな悩みを孕んだ、

不完全な問いに振り回される生き物なのかもしれませんね。

 

このままでいいのだ。

と、何らかの出来事の中で、

一旦は納得して幸福感に高揚しているうちはいいのですが、

日々日々何かを目に見える形で評価されたり、

褒賞を与えられたりすることが目減りして行って、

最終的には、

自分は何のために生きているのだろうか。

と、誰もが一度は考える命題を重く受け止めるか、

軽く受け流すのかで、それぞれの歩幅は変わって行きます。
これは、性格です。


歩幅は変わろうとも、「歩む」ということに違いはありません。

ただ、目指している場所も、歩むべき距離もそれぞれ違うだけ。

「隣の芝生は青い」というのは、

芝生として生えている草の種類も違うかもしれないし、

そもそも、自分が芝生なんて手入れが面倒だから求めていなかったり。

「なんでお前には芝生がないんだ!」

と、挙句押し付けられたり。

いやいやその代わり、うちの芝生以上に青い芝生にしないでくれ。

と、意味不明な要求をされたり、邪魔されたり。

 

同じ年なのに、あなたより私の方が老けて見られる。

 

まあ、いいじゃないですか。

それだけ熟成している。と、捉えれば。

若く見られる人には、

それなりに「ナメられる」というリスクもあるのです。

 

人が追い求める「若さ」とは、

陽炎のように感じることがあります。

 

それを追いかけるには、

またそこにたどり着くための距離が必要で、

時間もかかるわけですし。

 

そんなことに最初から振り回されない人も、世の中には多数います。

僕も出会ったことが何度もありますが、

魅力的で、とにかく美しく、惹き込む力が普通ではない。

 

出会った方々に共通しているのが、

「悪口や世迷言を言わない。」

これは本当に、男女問わず美しいし、そんな話題になっても、

逃げ方がとても上手です。

 

そういえば、ふと思い出しましたが、

摩利支天をご存知でしょうか?

イノシシに乗ったインド伝来の戦場の守護神で天女なのですが、

陽炎のように姿を見ることが難しく、小さくて素早いそうです。

その手には、針と糸を持っていて、

悪いことや、噂を流す口を縫い付けるのだとか。

 

多分、神話や経典に現れるこういったお話は、
人間の美。を追求した方便なのでしょうけれども、

そんな人に出会うたびに、なんとも言えない緊張が走ります。
その緊張感がまた心地よかったりもするのです。

 

美しさとは、年齢ではないし、ましてや若さではない。

年はとるんじゃなくて、重ねてゆくもの。

そんな陽炎のような女性たちなだけに、

良い思い出だけを残して僕の前からは去って行きましたが。

 

僕も凡人なのですね。