人を大切にする理由とは?
二日間、ブログの更新を休んでいました。
先日、インフルエンザB型にかかっていたのに、
A型にかかってしまったからです。
おまけに、喘息も併発してしまって、
咳と、鼻水と痰がひどくって、
まるで三年分の風邪を一気にひいた感覚です。
ところで、
「風邪をひく」の「ひく」は、「引く」で正しいのだそうで、
「罹(かか)る」とは言わないんですって。
風邪は字の通り“ふうじゃ”と読み、
これを背中の“風門”というツボが呼び込み、
感冒を引き起こすため、「引く」というのが漢方の考え方で、
そう書くのですね。
どちらかというと、「嫌なものを引き当てたなぁ。」
という気持ちです。
この歳になると、
ちょっとした体の変化にも、
「死」という言葉が頭をよぎるようになります。
慎重になるくらいだったら、
普段から色々と気をつけておけばいい。
というのは大変正しく、ごもっともな意見なのですが、
残念なことに、健康に関しては、僕の場合、
お金の使い途ランキングの下位にせざるをえません。
「死」が頭をよぎるのは、
いまだに独り身であるということと、
以前喘息で病院に担ぎ込まれた時は、妹にたまたま発見されたから。
という経緯があってのこと。
なので、老人の孤独死というタイトルでたまに特番が組まれますが、
正直他人事ではないな。と身につまされます。
なるべく家族や他人に迷惑をかけたくないので、
荷物は少なくしておく。
調子が悪い時は、防犯上問題はあっても、
盗まれて困るものも別にないから、玄関の鍵は開けておく。
というのが精一杯です。
あとは、夏に死なない。ということでしょうか。
結婚は誰にでもあることではないけれど、
最期は必ず誰にでもやってくるのだから、
「看取られる」ような生き方は心がけていなければならないな。
と考えることがあります。
たとえ、突然それがやってきたとしても、
早めに発見してもらえれば、僕はそれでいいです。
(警察は来てしまいますが。)
おそらくは、「死」そのものが怖いのではなく、
「汚す」のが嫌なんでしょうね。
どう終わったにしても、やっぱり誰かにはお世話になるのですから、
余計なことはさせたくはない。
というのが本音です。
「一人で生まれて、一人で死んでゆく。」
と聞いたことがありますが、
なんとなく、僕には違和感があります。
やはり、母体がなければ生まれないし、
誰かが亡骸を葬るわけですから、
とどのつまり、現代で考えると、一人では結局何にも始まらないし、
何も終わらないということになります。
見た目には、一人で寂しく死んでいった、、、。と悲しまれますが、
死ぬ本人からすれば、そうやって悲しまれた、、、。
となるわけですから、
何らかの関わりは最後まで続くのではないでしょうか。
だから、人を大切にしなければならないという根拠は、
この「死」にあるのでしょう。
勝手をしようが、カッコつけようが、
自分と関わった人からすべての自分の記憶を消さない限り、
一人では死ぬことさえもできないのです。
今、目の前で自分を想ってくれてる人。
この先も想い続けてくれる人
そして、昔、自分が想い思われていた人。
人は、人の中でしばらくの間、
自分ではわからないくらいの期間、生き続けるのですね。