漢字バカ200撰

漢字が好きなので、書と漢字の成り立ちから話を広げるブログ。広がらない時は、別のことを。

人を大切にする理由とは?

二日間、ブログの更新を休んでいました。

先日、インフルエンザB型にかかっていたのに、

A型にかかってしまったからです。
おまけに、喘息も併発してしまって、

咳と、鼻水と痰がひどくって、
まるで三年分の風邪を一気にひいた感覚です。

ところで、

「風邪をひく」の「ひく」は、「引く」で正しいのだそうで、

「罹(かか)る」とは言わないんですって。
風邪は字の通り“ふうじゃ”と読み、

これを背中の“風門”というツボが呼び込み、

感冒を引き起こすため、「引く」というのが漢方の考え方で、

そう書くのですね。

どちらかというと、「嫌なものを引き当てたなぁ。」

という気持ちです。

この歳になると、

ちょっとした体の変化にも、

「死」という言葉が頭をよぎるようになります。
慎重になるくらいだったら、

普段から色々と気をつけておけばいい。

というのは大変正しく、ごもっともな意見なのですが、

残念なことに、健康に関しては、僕の場合、

お金の使い途ランキングの下位にせざるをえません。

「死」が頭をよぎるのは、

いまだに独り身であるということと、

以前喘息で病院に担ぎ込まれた時は、妹にたまたま発見されたから。

という経緯があってのこと。

なので、老人の孤独死というタイトルでたまに特番が組まれますが、

正直他人事ではないな。と身につまされます。

なるべく家族や他人に迷惑をかけたくないので、

荷物は少なくしておく。

調子が悪い時は、防犯上問題はあっても、

盗まれて困るものも別にないから、玄関の鍵は開けておく。

というのが精一杯です。

あとは、夏に死なない。ということでしょうか。

 

結婚は誰にでもあることではないけれど、

最期は必ず誰にでもやってくるのだから、

「看取られる」ような生き方は心がけていなければならないな。

と考えることがあります。

たとえ、突然それがやってきたとしても、

早めに発見してもらえれば、僕はそれでいいです。
(警察は来てしまいますが。)
おそらくは、「死」そのものが怖いのではなく、

「汚す」のが嫌なんでしょうね。

 

どう終わったにしても、やっぱり誰かにはお世話になるのですから、

余計なことはさせたくはない。

というのが本音です。

 

「一人で生まれて、一人で死んでゆく。」

と聞いたことがありますが、

なんとなく、僕には違和感があります。

やはり、母体がなければ生まれないし、

誰かが亡骸を葬るわけですから、

とどのつまり、現代で考えると、一人では結局何にも始まらないし、

何も終わらないということになります。

 

見た目には、一人で寂しく死んでいった、、、。と悲しまれますが、

死ぬ本人からすれば、そうやって悲しまれた、、、。

となるわけですから、

何らかの関わりは最後まで続くのではないでしょうか。

 

だから、人を大切にしなければならないという根拠は、

この「死」にあるのでしょう。

 

勝手をしようが、カッコつけようが、

自分と関わった人からすべての自分の記憶を消さない限り、

一人では死ぬことさえもできないのです。

 

今、目の前で自分を想ってくれてる人。

この先も想い続けてくれる人

 そして、昔、自分が想い思われていた人。

 

人は、人の中でしばらくの間、

自分ではわからないくらいの期間、生き続けるのですね。