自立や努力とは?
生活保護受給者に対して、独自の意見を展開した落語家の話が、
話題になっているようですが。
僕の住む町では、もう何年も前から、
「逆転現象」が起こっています。
この現象は、最低賃金で働いている人の月収が、
生活保護の支給額を下回るという現象です。
ブログでこういったことを書くのもなんですが、
僕は、自営業で生きると決めた時から、
「貧困」を覚悟していましたし、
その時は、絶対にこの仕事で身を立てて、豊かになってやる!!
と、お金に対して息巻いて仕事をしていました。
情熱って、恐ろしいくらいパワーをもたらすんだなぁ。
と、自分に感心したくらいです。
でも、自分の好きなことを金にするということは、
本来、骨の折れる時間が長く続くものです。
それに嫌気がさして、やめてしまうか。と、日々迷うものです。
ただ、本当に好きなことなら、
ある低層までたどり着くと、ここまできたら、
「もう辛いからやめよう。」なんて、
泣きごと言ってる時間ももったいない。
と、思うようになるもんです。
「〇〇だから」なんて言ってるうちは、まだゆとりがあるんですね。
人間、どうしても諦めなければならない。
と、腹をくくった時には、言い訳なんて探すこともしません。
「志」を失うからです。
まだ、僕は貧困に喘いではいますが、
なんていうか、金銭的な貧しさを恥だとは思っていません。
むしろ、貧しさによって、
いろいろなことを感じることができてたはずのアンテナが、
壊されていくことの方が、恥だと僕は感じてしまいます。
さて、生活保護については、
確かに以前は、偏見がありました。
どうせ、パチンコに使ってんだろ。
働かなくっていいよなぁ。
俺も申請してみよっかな。
そんな風に、訳も分からず羨んでみたものです。
すみません。
そういう人もいるかもしれないけれど、
そうではない人もいるということを、
もう少し知らなければなりません。
身寄りもなく、体になんらかの事情を抱え、
働きたくとも働けない人。
それでも、家族を抱え、責任だけは果たしたいと、
必死に家族を愛しながら、立て直そうとしている人。
一度は制度を利用しても、
必ずいつか終わらせようと、心に誓っている人。
決していいことではないけれど、
パチンコしかすることのできない人。
考えてみれば、気の毒だとも思うわけです。
僕は、政治が、社会が悪いだとか、
自立する気持ちがないからだ。だとか。
あんまり確証を得ることのできない漠然とした意見や、
裁きには、興味がありません。
その理由は、
みんな、それぞれ理由と経緯が存在しているからです。
それに、他人の生き方を頭ごなしに否定することなんて、
できないのだし。
言うだけなら、誰でもできますが、
政治家でもそうだけれど、批判する時には必ず代替案を用意するのが、
礼儀であるし、
言い放っている時には熱くなっているけれど、
時間が経ったら他人事だし、じゃあどうする?と尋ねられると絵空事。
いっそ責めるなら、覚悟を持って攻め入って欲しいと願うのです。
まずいな。
と思ったらやめればいいし、
これがいいな。
と思ったら、続ければいい。
何が問題でこうなっているのか。
では、その原因を突き詰めて、掘り返して、
解明して取り除けば、
全ては解決するのか。
人間はそうはできていないと考えています。
時間は、引き戻すことができないからです。
今。という結果を生んだこと。
それは必ず、過去にあります。
その因果関係なんて、実は誰もがみんなわかっていること。
でも、過去は変えることができるのでしょうか。
なかったことにできるのでしょうか。
うん。あえて、できるとするならば、
忘れてしまうことです。
気にしないことです。
そして、今だけを、必死に生き抜くことです。
反省や後悔は、
むしろそういう必死さから滲み出てくるものです。
もう一度言います。
まずいな。
と思ったらやめればいいし、
これがいいな。
と思ったら、続ければいい。
「心豊かな自分でいられるか。」
それだけです。
努力とは、そのためにある言葉だと、そう感じています。