漢字バカ200撰

漢字が好きなので、書と漢字の成り立ちから話を広げるブログ。広がらない時は、別のことを。

自立や努力とは?

生活保護受給者に対して、独自の意見を展開した落語家の話が、

話題になっているようですが。

 

僕の住む町では、もう何年も前から、

「逆転現象」が起こっています。

この現象は、最低賃金で働いている人の月収が、

生活保護の支給額を下回るという現象です。

 

ブログでこういったことを書くのもなんですが、

僕は、自営業で生きると決めた時から、

「貧困」を覚悟していましたし、

その時は、絶対にこの仕事で身を立てて、豊かになってやる!!

と、お金に対して息巻いて仕事をしていました。
情熱って、恐ろしいくらいパワーをもたらすんだなぁ。

と、自分に感心したくらいです。

 

でも、自分の好きなことを金にするということは、

本来、骨の折れる時間が長く続くものです。
それに嫌気がさして、やめてしまうか。と、日々迷うものです。

ただ、本当に好きなことなら、

ある低層までたどり着くと、ここまできたら、

「もう辛いからやめよう。」なんて、

泣きごと言ってる時間ももったいない。

と、思うようになるもんです。
「〇〇だから」なんて言ってるうちは、まだゆとりがあるんですね。

人間、どうしても諦めなければならない。

と、腹をくくった時には、言い訳なんて探すこともしません。

「志」を失うからです。

まだ、僕は貧困に喘いではいますが、

なんていうか、金銭的な貧しさを恥だとは思っていません。

むしろ、貧しさによって、

いろいろなことを感じることができてたはずのアンテナが、

壊されていくことの方が、恥だと僕は感じてしまいます。

さて、生活保護については、

確かに以前は、偏見がありました。

 

どうせ、パチンコに使ってんだろ。

働かなくっていいよなぁ。

俺も申請してみよっかな。

そんな風に、訳も分からず羨んでみたものです。

すみません。

そういう人もいるかもしれないけれど、

そうではない人もいるということを、

もう少し知らなければなりません。

身寄りもなく、体になんらかの事情を抱え、

働きたくとも働けない人。

それでも、家族を抱え、責任だけは果たしたいと、

必死に家族を愛しながら、立て直そうとしている人。

一度は制度を利用しても、

必ずいつか終わらせようと、心に誓っている人。

 

決していいことではないけれど、

パチンコしかすることのできない人。

考えてみれば、気の毒だとも思うわけです。

 

僕は、政治が、社会が悪いだとか、

自立する気持ちがないからだ。だとか。

あんまり確証を得ることのできない漠然とした意見や、

裁きには、興味がありません。

 

その理由は、

みんな、それぞれ理由と経緯が存在しているからです。

それに、他人の生き方を頭ごなしに否定することなんて、

できないのだし。

言うだけなら、誰でもできますが、

政治家でもそうだけれど、批判する時には必ず代替案を用意するのが、

礼儀であるし、

言い放っている時には熱くなっているけれど、

時間が経ったら他人事だし、じゃあどうする?と尋ねられると絵空事

いっそ責めるなら、覚悟を持って攻め入って欲しいと願うのです。

 

まずいな。

と思ったらやめればいいし、

これがいいな。

と思ったら、続ければいい。

 

何が問題でこうなっているのか。

では、その原因を突き詰めて、掘り返して、

解明して取り除けば、

全ては解決するのか。

 

人間はそうはできていないと考えています。

 

時間は、引き戻すことができないからです。

今。という結果を生んだこと。

それは必ず、過去にあります。

その因果関係なんて、実は誰もがみんなわかっていること。
でも、過去は変えることができるのでしょうか。

なかったことにできるのでしょうか。

 

うん。あえて、できるとするならば、

忘れてしまうことです。

気にしないことです。

そして、今だけを、必死に生き抜くことです。

反省や後悔は、

むしろそういう必死さから滲み出てくるものです。

もう一度言います。

 

まずいな。

と思ったらやめればいいし、

これがいいな。

と思ったら、続ければいい。

 

「心豊かな自分でいられるか。」

それだけです。

 

努力とは、そのためにある言葉だと、そう感じています。