生み出すこととは。
大杉漣、『アナザースカイ』で高田渡「生活の柄」を歌唱 自身の死生観についても語る - Real Sound|リアルサウンド
活き活きと生死観を語る姿と、含み聴かせるような歌声に涙。
2018/03/03 22:30
と、ブックマークしました。
急な旅立ちの知らせに僕は、
仕事帰り、空席の目立つバスの後ろ側の席で泣いてしまいました。
一ファンとして、という気持ちもありますが、
これからまだまだ見たい姿もありました。
どうすれば、このブログを綴れるのか、
書かないほうがいいのか。
とても迷いましたが、
敬意を表してしたためることにしました。
大杉漣さんという人物から、いつ拝見しても伝わってきたものは、
「不動」という印象でした。
天と地を繋げているような、
その佇まいにいつも吸い込まれていました。
もちろん、巧みな演技テクニックにも魅了されていたのですが、
そこにいるだけで演者であること。
セリフがなくとも、たとえ無音で映像を眺めていても、
伝わってくるあの不思議さと厚み。
ファンとして、言えることなどまるで薄っぺらくて、
恥ずかしいと思ってしまうのは、
きっと、大杉漣さんご本人と接して、
愛情をいただき、与え合った人々には、
僕らファンには立ち入ってはならない聖域のようなものがあるのではないかと、
感じるからです。
昨日の「アナザースカイ」の放送を拝見して、
「ものを生む」ということについて、
そこには何もなく、何もしない。
そこから生み出す苦悩と挑戦をうかがい知れたのは、
僕にとって、救いの言葉のように思えました。
そういう境地からでなければ、ものを生むことなどできない。
生み出すという情熱は、動ではなく、静の中にこそあるのだ。
それが、本当の生み出すことへの欲求なのだと。
生むための条件を揃えることなんて、
先に考えれば考えるほど満たされなくなるし、
ゴールを決めて歩むのではなく、
たどりついたところをゴールとする。
大きく何かを失って、
生み出す場所を失って、
それでもやっぱりこれしかないのだと、
愚直に歩み続けること。
自分は一体何者なのだろうか。
答えてくれるのは、
歩みそのものでしかないのだと、
最期に聴いたその歌声に、深く刻まれていたように。
命ある限り、
生み出すことに向き合って生きてゆきたいと、
そう、思いを馳せています。
僕にとっては、
なんとも形容のしがたい距離の方で、
けれども、
大杉さんがこの世に存在していなければ、
得ることのできない喜びも素晴らしい時間も、
たくさんいただきました。
本当にありがとうございました。
感謝を込めて