漢字バカ200撰

漢字が好きなので、書と漢字の成り立ちから話を広げるブログ。広がらない時は、別のことを。

「律」の漢字 Do not judge of others by yourself. 〜己をもつて人を律することなかれ〜

 

f:id:hokushin_myouken:20180418143242j:plain

 

リツ(ritsu)、リチ(richi)、のり(nori)


と、読まれるのは、右の「聿(イツ:itsu)」という、

「筆(ヒツ)」を表す言葉からのものです。

筆を立てて、建物の場所や配置定めるように、

一律に広く知らしめる。

というのが、この文字の意味です。

これが、小さくは個人の決め事、

さらには習慣やサイクルも表すことになります。

なので、「おきて、さだめ」とも読まれるようになっています。

※ 白川静 常用字解より一部引用

 

「律」の個性


9画の漢字で、部首は「ぎょうにんべん」で構成される、

小学校六年生で学習する文字です。

一画目、二画目は平行になるように、

ペン字の場合八時の方向へ引きます。

毛筆の場合は、八時と七時

二画目はやや長目がスマートに決まります。

三画目はまっすぐ下ろすのも良いのですが、

ちょっと話して、キュッと短く外側にカーブをつけて引くと、

女性らしく華奢な雰囲気になります。

五画目は、転折(てんせつ)をしっかり主張して、

六画目から八画目までの三本の横線は、

平行になるように、長さは七画目が短く、

三本の線で「くびれ」ができるように。

最後の九画目は、まっすぐ下ろしてくるのですが、

この時、筆の場合もペンの場合も、手で引くよりも、

重心を上から下へ移動させる感じで引きます。

どうしても震えたり、曲がったりする場合は、

奥の手を使います。

息を吐きながらゆっくり引いてください。

 

「じりつ」という言葉で悩む

「ジリツ」「ジカツ」「ドクリツ」「シュッセ」。

僕が幼少の頃、おばあちゃんからよく言い聞かせられていた言葉です。

おばあちゃんは、いわゆる「字盲」で、年老いてから文字の勉強をしていました。

毎日仏壇の前でカセットテープをかけながらお経を読んでいるので、

字が書けないということに僕は気づきませんでした。

ある日、仏壇の近くに置いてあったノートに目が行き、

悪いと思いながらも、それを開くと、

びっしりと「カタカナ」で日記が書かれていました。

新聞に書いてあったこと。

今日の出来事。

僕が言ったこと。喜んだこと。

おばあちゃんが、悲しかったこと。

ただ、「カタカナ」だったので、本当に表現したかったことが、

そのまま余すところなくそこに書かれていたのかは、

未だに知ることはできません。

ですが、僕に書道を強く勧めたのは、

そんなおばあちゃんの経緯があったからなのだな。と、今はそう思っています。

 

個人的に僕は、恒常的な悩みの渦の中にいて、

平然とこうしてブログを書いているように見えるかもしれませんが、

脳のなかは、

いつも災害に見舞われているような気持ちでいることが、

一日の大半を占めています。

そういう時は、往々にして、言葉の整理がついてなくって、

頭の中での「文字起こし」が不完全な状態である時です。

 

当初、僕が独自に漢字の勉強をし始め時は、混乱の連続でした。

書いて眺める文字と、言葉として発する文字の受け取り方の違いに気づいてから、

うまく人と話をすることができなくなってしまったからです。

怖くなったのかもしれません。

「ジリツ」と、おばあちゃんの口癖を先ほど紹介しましたが、

これには「自立」と「自律」があり、

音としては一緒でも、意味が全く異なるならまだしも、

微妙に近くて、使い方によっては大きな誤解を招く言葉に翻弄されたりします。

そんなのくだらないことかもしれないし、

考える必要もないのかもしれない。

ただ、ひとたびそれを咀嚼できれば、僕の心はとても軽くなり、自由になれる。

 

おばあちゃんは、気苦労の人でした。

それは、表現に悩んでいた人だったからだと、僕は感じています。

確かに、江戸時代が終わり、たった十数年後に生まれ、

学びの機会もほとんどない中で、それでも「伝えて」行かなくてはならないし、

文字がイメージとして浮かび上がらない分、

感情や状況でしか判断できないのですし、

それは僕のおばあちゃんに限ったことではなかったと考えると、

まさに「気」が休まることがなかっただろうと察しています。

 

「自立」には、「自律」という一人一人の調子と拍子が必要で、

その均衡が取れて、ようやく「自立」の手はずを、

自分で考えることが自然とできるようになって行くんじゃないかな。

僕はきっと文字に書いて、おばあちゃんに優しく話すんだろうと思います。

 

書について書けるのは、おばあちゃんのおかげなのです。

書が、文字が、気の休まる場所になってくれるといい。

そんな思いでいます。

 

長くなってしまいました。

今日もお読みくださり、誠にありがとうございます。拝