三流の玄人でも、一流の素人に勝る。
再放送を拝見しました。
(なんか再放送ばっかだな、、、。)
でも、本放送も以前観ていて、もう一度観たかったのです。
北斎は、これは伝説なのかもしれませんが、
一流を目指して、北辰妙見菩薩に願掛けを行っていたそうです。
二十一日目のお勤めを終えた帰り道、
突如現れた雷光に撃たれて、畑に転がり落ちたそうで、
そのあくる日から、絵が売れ始めたのだとか。
その後、「北斎辰政」と名乗り、
「北斎」という略号を使ったそうです。
このブログのURLも、hokushin-myoukenとありますが、
その理由は、こちらに以前書かせていただきました。
もし、ご興味を持っていただけたならば、どうぞお立ち寄りくださいませ。
ストーリーは、ぜひ、NHKオンデマンドでご覧ください。
ともかく、目を見張る美しい映像でした。
一本一本の細い、骨書きと呼ばれる華奢な線だけではなく、
紙の繊維まで克明に映し出され、まるで、
這わせる筆の擦れる音まで聞こえてきそうです。
演者の肌の質感、表情を作り出すしわの曲線。
物語全体が立体的に伝わってきました。
そんな美の表現の中に宿る、北斎とお栄の作家としての苦悩。
中でも、もっとも僕が心を撃たれたのは、
「たとえ三流の玄人でも、一流の素人に勝る。
なぜだかわかるか。こうして恥をしのぶからだ。
己が満足できねぇもんでも、歯ぁ喰いしばって世間の目に晒す。
やっちまったもんをつべこべ悔いる暇があったら、
次の仕事にとっとと掛かりやがれ」
そんな北斎のセリフでした。
本放送を観た時には、このセリフがあったかもわからなかったのに、
今日この日に、観ることができた自分は幸せだと感じました。
僕は、書く仕事をしています。
一度ならず、何度も世間の目に晒して生きてきたわけですが、
ここ最近、このセリフとは別の「余計な恥」が気になって、
書く気力を失いつつありました。
けれども、書きたいという気持ちは抑えることができず、
悶々と日々を送っていたのです。
僕は、三流かもしれません。
けれども、素人ではない。
しかし、書くことをやめてしまえば、
素人でさえなくなってしまう。
自分の納得いくものが、観る人へ同じように伝わると考えるのは、
おそらくは大変なエゴで、
自分の納得いくものだけを書いて、多くの人に受け入れられたい。
というのは、思い上がりもいいところなのだな。
北斎が死ぬまで、「上手くなりたい。本物になりたい。」
と願い、妙見菩薩に祈ったのは、
どこまでも一作家として、
制作に対して謙虚だったからなのではないかと、
そう深く深く、反省させられました。
世の中には、いろいろな仕事の表現があります。
仕事、ビジネス、商売、商い、生業。
そして、否応なく、
人、モノ、金。
が必要になってきます。
それに抗っても仕方がない。
この時代にまずは生きているし、この生まれ落ちた時代こそが、
自分の戦場なのだから。
「家」とつく職業は、仕事ではなく、生き様だ。
と、誰かが言っていたように、
そんな生き方を貫いてみてもいいんだな。
そんな、鮮明な輪郭を持った希望を与えてもらった作品でした。