漢字バカ200撰

漢字が好きなので、書と漢字の成り立ちから話を広げるブログ。広がらない時は、別のことを。

『15時17分、パリ行き』と、震災から七年。


映画『15時17分、パリ行き』日本版予告【HD】2018年3月1日(木)公開

 

これ、観てきました。

 

一緒に行った友人は、三十分ほど仮眠を取ってしまいましたが、

僕はちゃんと観ることができました。

それもイーストウッドらしい映画かな。というのが感想です。

 

なんてことない日常と普通が描かれているのですが、

そんな日常の中に生きる「教訓」のようなものが、

いざという時に誰かの命さえ救う。

ということが、あちこちに刻まれた映画でした。

 

・自分にしかわからない、自分が進むべき道

人は、大切なもの、特別なものをかいつまんで、

後学にしようとしますが、

本当は、普通の日々の中で起こるわずかなことの中に、

自分が進むべき道、

あるいは戦わなければならない難題が隠されていて、

それぞれの関わりや行動の決定によって、

誰かの人生の運び方にまで変化を起こす。

何を頼りにして行けばいいのかは、

ほんのかすかな手がかりでしかないし、

自分にしかわからない。


ある意味、

そういった人生の「謎」も描かれていたようにも感じます。

 

・変わってしまったことと、変えてきたこと

今の僕の人生にたどり着くまで、

幾つかの選択肢があったのかもしれませんが、

大きく決定づけられたのは、七年前の震災でした。

その日、僕は関東に住んでいて、

東北ほどの被害はありませんでしたが、

波のように鞭打つ高架の姿や、
直後に降った、生暖かい豪雨。
帰宅困難者の列、

夜中に真っ赤に連なる車の列、売るものが無くなったコンビニ、

ちょっと先で起こった原発の爆発、
帰って来いと言ってくれた、今は亡き友人の電話と父の声。

人もまばらな空港ロビーに、全便満席と表示された電光掲示板。

今も様々な思いが交錯します。

そして、後から伝わってくる、

行方のわからなくなった、昔愛した人のこと、

そして、本当のこと。

 

・地球のバランス

何もできない自分を責めた人も、僕も含めて、

あの当時多かったのではないでしょうか。

被災者でもなく、現地にも行ってない人間が発言するな。

といった意見も、ネットにはたくさん飛び交いました。

僕には、それに対して腹立たしくなる気持ちもなく、

おっしゃる通り。

僕らは、心から祷るしかないのだな。

と逆にそういった意見に諭されたようにも感じます。

 

人一人が、この世からいなくなると、

地球全体のバランスが崩れる。

だから、この人間の世は、

いつもいつもそのバランスをなんとか保とうとするから、

常に誰かが動いていて、どこかで誰かが生まれてくる。

人の命がなぜ尊いのか。
なぜ、言論と行動が大切なのか。

その回答の一つだとも、聞いたことがあります。

僕に震災の多くを語ることはできません。

けれども、震災によって、

自分の生きる場所や生き方が変わったという事実を考えると、

実は、自分で変えてもきたのだと気づきます。

ただ、この選択には、幸せになれるかどうか。

というテーマは含まれていませんでした。

ただ、生きるにはどうするべきか。

 

家族や家屋を失ったわけでもなく、

財産をなくしたわけでもないけれど、

間違いなく、今、俺の人生は大きく舵を切った。

そんな人もいたのではないかと思います。

 

人は、すべての誰かのために生きている。

 

毎年、僕はそうつぶやいています。

 

生きている、生きていないにかかわらず、

知っている、知っていないにかかわらず、
仲が良い、仲が悪いにかかわらず、
そばにいる、そばにいないにかかわらず。

誰かのために。