疲れているんじゃない。疲れさせているんだわ。あれもこれもで。
【疲れた心に】インドで出家した僧侶が教える「ムダな反応」の止め方 - リクナビNEXTジャーナル
2018/03/16 01:00
「もう、俺、ダメだな。」
と、つぶやいてしまうことがありました。
たまに、ネットの色々な記事を読んでいると、
「うんうん。」と、納得させられることがあります。
そんな記事に、今日は出会うことができました。
自分のやりたいことに注力しようと決めてから、10ヶ月。
去年、職場がなくなって、
どうやって、ここまできたのかわからないくらい、
生きることだけに時間を割いて暮らしてきてます。
そんなことをしているうちに、
自分のやりたいことにまで手も気持ちも回らなくなってしまい、
あれもこれも必要に迫られて、
イメージとしては出来上がっているんだけれど、
遠のいて行く。
そんな時期を味わってきました。
これはかなり疲れているな。
と、感じ取る基準になるのは、
今やろうと思ったことと、行動が全く別になるときです。
今、そこにカップを置こうと思っていたのに、
気づいたら別の場所にカップを置いている。
これは完全に疲れています。
もっと言うと、憑かれているのかも。
と、感じたこともあります。
わかっているんだけどできないことって、あります。
しょうがないじゃん、今はこれが自分なんだから。
そんな風に思うたび、何かを諦め続けていたようにも思います。
一日のうちで自分を必ずリセットできる時間、約45分間。
でも、僕には幸い、
一日のうちで自分を必ずリセットできる時間がありました。
だいぶ若い頃、初めて出会ったお坊さんにその方法を教えてもらってから、
どんなことがあっても、この時間を設けています。
本来は、非常に飽きっぽい僕なのですが。
そのお坊さんは、ある宗派のお坊さんだったのですが、
「宗派の作法を重んじることよりも、まずはすがってみな。
すがり続けたら、今度はどうするべきか、
自然とヒントが与えられるように、人はできてるからさ。」
リセットしたからといって、事情が変わるわけではありませんが、
でも、事情との向き合い方が変わるのを経験しました。
もう二十三年続けてきました。
同時に、神仏のすがることによって、運が開けたり、
なんか奇跡が起こったり。
ということは無いようです。
ただ、悩もうが、哀しもうが、へこたれようが、
その全てが、生きている。ということ。
そんな手応えを欲するがままに与えられているように、
感じています。
「もう、俺、ダメだな。」
と思っても、命までが終わらなかったのは。
今の自分を観る。
ということが、忘れる。捨てる。
という作業になっていたからかもしれません。
今も日々、迷いと悩みの中です。
けれども、これに執着したってなんにも生まれません。
明日も、できる限り一点集中で出来事に挑んで行きます。
ただ、それだけです。