漢字バカ200撰

漢字が好きなので、書と漢字の成り立ちから話を広げるブログ。広がらない時は、別のことを。

どんなに困っても、本は読む。

・整理のための読書

煮詰まった時に、助けてくれるのが、本です。

本は不思議なものだなと、つくづく思います。

悩むことも、困ったことも、生きていればたくさんあります。

もちろん、何かから解放されたいときも、笑いが欲しい時も、

ちゃんと、出会うべき本に出会えるようにできているように感じます。

 

かさ張って困っちゃうこともありますが、

昭和の僕には、引越しの時に本が詰まったダンボールの重さが、

歩んできた道に履きつぶして捨ててきた靴の重さだとも感じます。

靴とは違い、本は、

また引っ張り出して記憶を喚起することもできますので、

僕にとっては、音楽とどこか似たような役割も果たしてもらっています。

 

ただ、問題は、好きな本は何ですか?

と問われた時に、「これ」と名指しできないことです。

それは、小説をあまり読まない(これから挑戦しようと思っていますが。)

ということと、前述したように、

参考書のように、その立ち位置を扱っているからかもしれません。

本に書いてある通りに行動するということはありませんが、

人との関わり合いや、考え方をちゃんと理解したい時に、

読んだ本は「角度」を与えてくれます。

 

・今夢中になっている本

これです。

 

f:id:hokushin_myouken:20180317003804j:plain

僕はもともと時代劇が好きなので、

実在した人物の書物の現代訳版や、面倒くさがり屋なところもあって、

いいとこ取りのダイジェスト的な本をよく読みます。

あまり深掘りしようとも思うこともなく、

作家についてきかれても、「うーん、、、。」となってしまうので、

あまり本について記事を書くことにも実は向いていなかったのではないかと、

ここまでブログを書いておいて、後悔してます。

 

でも、どんな風に音楽を聴くかと同じように、
例えば僕は、音楽をパーツで聴くことが多くて、

ベースやドラムに耳が行ってしまい、

それで気に入ったらトータルで耳を広げ、

段階を追って好きになってようやく買います。

文章にもそれと似たようなところがあって、

言葉の使い方や、雰囲気の伝え方を、

実は内容よりもそこにまずは注視しています。

なので、二往復三往復は当たり前です。

本当は、中身を暗記したいくらいなんだと思います。

 

・ダメな自分を受け止めてくれる。それが良書。

すごく追い詰められて、もう気持ちの行き場がどこにもない時に、

僕は本に幾度も助けてもらいました。

新しい知恵をもらったともいうのでしょうが、

ちょっとそれとは違うくて、

生きていると、ほんのわずかな、かすかな閃きのような、

電気信号によって自分の方向性が、

コントロールされているような気になることはないですか?

「ガイダンス」のような。

経験によって蓄積された情報の中から、

状況解決にもっとも近い答えを出すのではなく、

考えなければいけない状況そのものが初体験であった場合、

もう、勘に頼るしかありません。

果たして、それが正しかった場合は良かったとして、

間違っていた場合、残念な結果になった場合、

何が原因だったのかわからなくてもやもやしてしまいます。

そんな時、何気なく手に取った「本」に、

その原因が書かれていることが、

今まで多々ありました。

自分は、だからダメだったのか。

いや、だから今もダメなのか。

じゃあ、ここに書いていることを心に刻んで、

今度はこうしてみよう。、、、まあ、忘れるんですがね。

ただ、決して開き直りのためではなくて、

この後をどうよく生きるか。

 

僕の読書は、その連続です。