漢字バカ200撰

漢字が好きなので、書と漢字の成り立ちから話を広げるブログ。広がらない時は、別のことを。

「佳」の漢字 The interest deepens. 〜佳境に入る。〜

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・幸福感を味わうことのできる、うつくしさ。

カ(ka)、カイ(kai)、ケイ(kei)、よい(yoi)、めでたい(medetai)

と、読まれる、人名にも多く使われる文字です。

ケイと読まれるのは、

圭(ケイ:kei)に、

卦(ケ:ke:占いのこと)という文字の音があることからです。

圭は、役職に任命されるときに、

その優れた人が授かる「めでたい玉」のことで、

「イ」を添えることによって、「よい人」という表現になります。

この玉の様子から、「よい、うつくしい(utsukushii:beautiful)、めでたい」

と、なり、この「佳」と言う字は、

古くは「美人」のことをさし、女性の名前によく使われる文字でした。

転じて、今では、「よい友人」と言う意味にも使われます。

※ 白川静 常用字解より一部引用

 

・いよいよやってきた。

「佳境」という言葉は、

「優れた場面」「もっとも盛り上がる場所」「サビ」、

という意味に使われます。

まさに「いよいよ」という期待感に応える場面です。

この期待感とは、幸福への憧れを指すので、これを人生に当てる時、

僕は、対象評価として考えるなら「良い人生」ですが、

それぞれの幸福。と、捉えた場合、「佳い人生」と使っています。

この字も、以前の記事

 

www.hokushin-myouken.com

 

と同じくらい、

自分の名前に欲しかったなぁ。と思う文字です。

それは、『この人のせいです。

 


桑田佳祐 – ライブ映像作品『がらくたライブ』トレーラー

 

この方は、僕に大いなる悪影響を与えた人物ですが、

何をやっても憎めない、何を表現しても新たな創造への期待感を持ってしまう。

物悲しくて、それなのにうつくしく、
儚さに、ためらいなく永遠を与えてくれるような。

そんな「佳」をどこまでも生き、晒してくれる表現者です。

作品のリリースやツアーが決まるたびに、「いよいよか。」と、

肋の下の方をキュッと締め付けてくれるこの方は、

僕の「圭」なる「人」なのです。

 

・何もかも見失った時、どうすればいいのか。

「見失う」とは、おそらくは「何も見えなくなっている状態」ですよね。

でも、本当に「見失う」というのはなかなか逆に難しいことでもあります。

 

なので、本来の意味で「何もかも失くす」ということではないはず。

自ら、「何も見えなくしている状態」という方が適当でしょう。

ですが、これを、「感情」として考えると、その不安感や喪失感は、

例えようも、語りようもない苦悩となります。

 

僕も以前、海外で活動していた時に、

当時予測してはいたけれども、それを超える、

あまりの絶望と孤立と貧窮に襲われて、

自分の命を、毎日危険に晒していたことがありました。

なんとか、「運」がそれを救い出してくれて、

日本に帰ってくることができましたが、

その時に味わったショックのせいなのか、

しばらく茫然自失の毎日を過ごすことになったものです。

音楽にも、料理にも、友人との会話にも全く心が動かなくなり、

「自分は一体何者なのだろうか。」

そんなことを毎日考えたものです。

ちょっと環境が変わり、社会から離れて生活することになったその中で、

「自分は一体何者なのだろうか。」

という問いを繰り返してゆくうちに、とある日、

「自分の名前」というものにたどり着いて、

今まで考えてもみなかった、親の希望ではなく、

文字の「意味合い」として考えた結果、

そもそも、「年上の達人から多くを教わり、文字を書く人のこと。」

であると知ってから、

腹のくくり方が少し変わったように、僕自身は感じています。

今もその危機感自体は変わらないのですが、覚悟は決めています。

 

今は、いい時代です。

方法も手段もたやすく手に入ります。

それをどう人生に活かすかは自分次第ですが、

生まれてこのかた、一番長く耳にし、毎日使っている「名前」について、

一度は深く追求してみるのも、僕の経験としてお勧めいたします。

 

今日もお立ち寄りいただき、ありがとうございます。