漢字バカ200撰

漢字が好きなので、書と漢字の成り立ちから話を広げるブログ。広がらない時は、別のことを。

「瞳」の漢字 to strain one's eyes 〜瞳を凝らす〜

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・余計なものがない。ということ。

ドウ(dou)、ひとみ(hotomi)と読まれる、

形と音から出来上がった文字です。

右の「童(どう:dou)」が音の部分で、

「児童(child)」などと使います。
「童」は、草木の生えていない「禿山(はげやま)」のことをさしていて、

何も余計でとっちらかったものがない状態のことを、「童」といいます。

転じて、「澄んでいる、汚れていない、純粋である」「目」を、

「瞳」といいます。

※ 白川静 人名字解より一部引用

 

・見透かされているようで、たまに怖くなる

「余計」なことですが、

僕は未だ独身で、子供もいないのですが、

子供に囲まれて過ごす時間が多くあります。

ものを教える仕事になるとは思ってもいなかったので、

教育のプロとはいいがたく、寺子屋のような場所で、

生徒さんをお預かりしています。

大人の生徒さんももちろんおられますが、

大人も子供も一緒になって学んでゆく中で、

間違っているのか、そうでないのか。

僕に対してのこの監視役になるのが、実は子供たちだったりします。

子供は、取り繕うことや、忖度に大変敏感です。

おかしい」と思うことには、

容赦なく、指摘の吹き矢を何発も打ち込んできます。

こちらも、応戦しますが、とどのつまり、

なぜそうするのか。という理由と仕組みを説明します。

この説明をするときに、「じっ」と見つめてくる子供たちの「瞳」が、

とても怖くなる時があります。

多分、「大人の事情」で話を進めて行こうとするからでしょう。

自分が子供の頃もそうだったろうか、、、。と、考えますが、

いや、やはり、似たようなものでした。

だから、逆にこちらが素直に応じないと、

納得してくれませんし、納得するまで帰らない生徒もいます。

エネルギーのいる作業で、本当に俺は向いてないなぁ。

と思いながらも続けてきているのは、

おそらく、そういった純粋さと対峙しながら、

自分の失ってしまった大事なものを、

彼らから補完してもらわなければならない宿命のようなものだと思っています。

 

・先入観は最大の敵

実は、上達のスピードでいうと、やはり子供たちの方が圧倒的です。

というのは、

大人は、もう何年も生きてきて、

しかも、印刷されている文字を何億と読んできているので、

その「キャラクター」が頭に刷り込まれていて、

「フォント」のように書こうとしてしまいます

もちろん、子供も、教科書などから学んだ「文字」が正しい文字だと信じているので、

そこでちょっとした議論になります。

「正しい文字」を知ってるから、「美しい文字」を書けるとは限らないし、

美しい文字とは、見る人の感じ方によって違う。

自分は、自分の持つ美しさで、相手に伝えることが大事なのさ。

だから、「伝わる文字」を書いていこうや。

と、子供たちには話します。

すると、あっという間に進む方向性を変えて、

笑いながら筆を進めて行くようになり、最終的には、

「これが俺のかっこいい「気」という字。」だとか、

「私のやさしい「花」。」というように、

正しい文字をベースにして、

自分の理想や想いを肉付けして行くようになります。

そうなると、教える僕としては、、、泡を吹いて眺めるしかなくなってきます。

そんな、子供たちを横目に見ながら、

大人の生徒さんも刺激されて、思い込みを捨てる作業にかかるので、

空気感が一体になって行きます。

 

まずは思い込みを捨てること。

子供はいとも簡単に投げ出します。

大人はしがみつく傾向が強いですよね。

でも、子供だって、いつかは大人になり、

めんどくさいやつになっているかもしれません。

「美」を見つめるということは、疑いを捨てる。

ということでもありますから、

そこは彼らから、大いに学ばなければいけないな。

 

今日もお読みいただき、ありがとうございます。