漢字バカ200撰

漢字が好きなので、書と漢字の成り立ちから話を広げるブログ。広がらない時は、別のことを。

「無」の漢字 nothing

 

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ム(mu)、ブ(bu)、ない(nai)、なし(nashi)、まう(mau)

舞う人の形が、この文字の始まりです。

何の舞いかというと、「雨乞い」の舞いですね。

元は、「舞」は「無」と同様に使われていましたが、

のちに有無を示すこと専用に、「無」が使われるようになりました。

※ 白川静 字通より引用

「無」の個性


小学校4年生で学ぶ、十二画の文字で、部首は「れっか」。

動画の筆順は、あまり一般的ではありません。

結論からいうと、「間違い」となります。

子供にはこのように教えてはなりません。

三画目は、真ん中の長い横棒になります。

その後、縦に左から四本引いて行き、

三本目の横線で閉じます。

行書の筆順だと、一画目、二画目はそのままで、

真ん中、三本目を引いてから、縦を引く筆順もあります。

この文字のバランスは、最後の四つの点を広く構えることで整います。


さて、そんな、間違いなのかどうなのかも踏まえて、、、。


有ることが、無い。無いということが、そこに有る。

仏典には、この「無」という文字が頻繁に登場します。

「南無」と唱えるお寺が多く存在しますが、

「ナーム」に当てた漢字です。

「帰依(きえ):一心に委ねる」することを言います。

仏教で言うところの「無」とは、非常に理解が難しく、

およそ、凡人の僕には実践不可能であろう、心の状態です。

失礼ながら、僕の感覚でざっくり表現すると、

「執着しない。」

という言葉がしっくりきています。

ただし、「無い」ということにも執着しない。徹底的にそこから想いを離す。

と、いう、意識の方向性や努力する心持ちさえも手放す。

んんんんん、、、、!!!

難しい!!

でも、ひょっとしたら、、、。

ということではありますが、

「捨てる瞬間」がこれにあたるのかな。

と、刹那な間が過ぎた後に感じたことがあります。

特に、自分が勝手に大切にしてきたプライドみたいなものを、

自分で決めて「捨てる」瞬間です。

最近そんなことがありました。

もう、そこには、迷いとか、計算とか、

追い詰められた人間にそんなものはありません。

本当にやりたいことができる場所を手にしようと突き進む時、

人は無意識にポーン!と何かと一緒に、意識すら捨て去るものです。

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今一度、弟子に入り、初心者の気持ちで勉強させていただきながら、

書の仕事をさせていただくことにしました。

今までのスタイルを一度捨てて、再構築を心に決めたのです。

儲かる仕事でも無いし、贅沢もしばらくはお預け。

いつまでで、どこで満足するかもわかりません。

でも、何より、毎日毎日書と向き合うことができる。

今は、その感触が日々ただただ、欲しいのです。

この時、私は、「無」になりました。


「無」という字。

書き順のことにも触れましたが、

実は、この文字自体、間違って伝えられ、

残された文字。

正しさも、間違いも、そこには存在しない。

それが、仏のいうところの「無」。

でも、決めなければならないことが世の中には、いや、

人の世はそんな風にできています。

 

今日も読んでくださり、本当にありがとうございます。拝