「無」の漢字 nothing
ム(mu)、ブ(bu)、ない(nai)、なし(nashi)、まう(mau)
舞う人の形が、この文字の始まりです。
何の舞いかというと、「雨乞い」の舞いですね。
元は、「舞」は「無」と同様に使われていましたが、
のちに有無を示すこと専用に、「無」が使われるようになりました。
※ 白川静 字通より引用
「無」の個性
小学校4年生で学ぶ、十二画の文字で、部首は「れっか」。
動画の筆順は、あまり一般的ではありません。
結論からいうと、「間違い」となります。
子供にはこのように教えてはなりません。
三画目は、真ん中の長い横棒になります。
その後、縦に左から四本引いて行き、
三本目の横線で閉じます。
行書の筆順だと、一画目、二画目はそのままで、
真ん中、三本目を引いてから、縦を引く筆順もあります。
この文字のバランスは、最後の四つの点を広く構えることで整います。
さて、そんな、間違いなのかどうなのかも踏まえて、、、。
有ることが、無い。無いということが、そこに有る。
仏典には、この「無」という文字が頻繁に登場します。
「南無」と唱えるお寺が多く存在しますが、
「ナーム」に当てた漢字です。
「帰依(きえ):一心に委ねる」することを言います。
仏教で言うところの「無」とは、非常に理解が難しく、
およそ、凡人の僕には実践不可能であろう、心の状態です。
失礼ながら、僕の感覚でざっくり表現すると、
「執着しない。」
という言葉がしっくりきています。
ただし、「無い」ということにも執着しない。徹底的にそこから想いを離す。
と、いう、意識の方向性や努力する心持ちさえも手放す。
んんんんん、、、、!!!
難しい!!
でも、ひょっとしたら、、、。
ということではありますが、
「捨てる瞬間」がこれにあたるのかな。
と、刹那な間が過ぎた後に感じたことがあります。
特に、自分が勝手に大切にしてきたプライドみたいなものを、
自分で決めて「捨てる」瞬間です。
最近そんなことがありました。
もう、そこには、迷いとか、計算とか、
追い詰められた人間にそんなものはありません。
本当にやりたいことができる場所を手にしようと突き進む時、
人は無意識にポーン!と何かと一緒に、意識すら捨て去るものです。
今一度、弟子に入り、初心者の気持ちで勉強させていただきながら、
書の仕事をさせていただくことにしました。
今までのスタイルを一度捨てて、再構築を心に決めたのです。
儲かる仕事でも無いし、贅沢もしばらくはお預け。
いつまでで、どこで満足するかもわかりません。
でも、何より、毎日毎日書と向き合うことができる。
今は、その感触が日々ただただ、欲しいのです。
この時、私は、「無」になりました。
「無」という字。
書き順のことにも触れましたが、
実は、この文字自体、間違って伝えられ、
残された文字。
正しさも、間違いも、そこには存在しない。
それが、仏のいうところの「無」。
でも、決めなければならないことが世の中には、いや、
人の世はそんな風にできています。
今日も読んでくださり、本当にありがとうございます。拝