「水」の漢字 water
スイ(sui)、みず(mizu)
流れている水の形を表した、象形文字です。
元は、
や、
です。
真ん中のつながっている線が、大きな流れを表していて、
そばの点が、小さな流れを表しています。
大きな流れが三筋になって流れているのを表す時は、
線三本で「川」と書きます。
小さな水の流れは、凍りやすく、
氷の粒の形を二つつけて「冫(にすい)」となり、
「冰(こおり)」と書き、「氷」の元になっています。
水晶のごとき 〜crystalline〜
水晶は、その昔、「水精」と書かれていました。
「晶」の「日」は、「星」の輝きを表していて、
光に照らされて、放射する粒がそこに閉じ込められ、
かつ、水のような透明感から、この字になっています。
濁りが無いということは、穢れが無い。ということでもあります。
敢えて泥を被ることや、
汚れ役を演じること。
役者の世界に止まらず、人間社会にはそういった透明な理想とは裏腹に、
腥く淀んだ現実もともに存在して成り立っています。
美しいものを求めると、究極は無色透明に行き着きます。
でも、人に「色」が無いということは、
識別ができないということでもあります。
時々、クリアになって、
また自分色にくっきりと染めて行けばいいのだと思います。
自分自分と自分に自分であることを追求し続けると、
最終的には「闇」になりますからね。
何を持ってクリアになるのか。
と言うと、その答えはありません。
「ああ、洗われたな。」
と思ったら、それが正解です。
そんな僕にも、クリアになるための行為が幾つかあります。
その中の一つは、
自分を自分で水に流す。
ということです。
すっぱり忘れて開き直る。ということではありません。
弱点を克服することによって、初めて水に流せることもありますし、
もやもやした事件を考えるにいいだけ考えて、
なんとか自身の解決まで至らせて、
やっと水に流せることもあります。
でも、相手はそうじゃ無いことだってあります。
そういう場合は、目の前から消えます。
水に流すと、海に出るしか無いので、
そこからまた与えられた人生を泳ぐのです。
泳ぎ始める前に、風呂場で冷水をかぶります。
事実は事実。
でも、事実を作った原因に、いつまでも執着しない。
同じことが繰り返されるのは、
その原因を受け止めていないからだ。
とは、言いますが、
この原因と、次の原因は、全く別のものです。
水と同じように、時間は流れているからです。
原因を掘り返したところで、今の事実が変わることは無いのですから。
それと、大切な仲間と徹底的に飲み、笑います。
お神酒で清めて、笑いで流す。
「そっか、お前も大変だったな。まあ、飲もうや。」
これだけで、充分、クリアになれる気がします。
あまり多いと、効果が無いのですが。
「水」の個性
小学校一年生で学習する、四画の漢字。部首は「水」。
左祓いと右祓い。
もうこれは、練習以外にありません。
ポイントは、
まずは、一画目をまっすぐに。ひたすらまっすぐに引きましょう。
この縦線の中心が、「水」という字の重心になりますから、
三画目は必ず、この中心に引っかかるように描いてください。
本日もお読みいただき、誠にありがとうございます。拝