漢字バカ200撰

漢字が好きなので、書と漢字の成り立ちから話を広げるブログ。広がらない時は、別のことを。

「一」の漢字 alternate hope and despair 〜一喜一憂〜

 

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イツ(itsu)、イチ(ichi)、ひとつ(hitotsu)、ひと(hito)、はじめ(hajime)、もっぱら(moppara)

数を数えるときに使う、「算木」という短い棒状の道具があります。

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これを、横に置いた形です。

このような文字は、形として表しにくいので、

抽象的に点や線で表し、文字としました。

漢字の中でも数少ない種類です。

指事(しじ)文字と言います。

漢字の「四」までは、このように算木の置き方で作った文字で、

「一」は、そのはじめである事から、

「はじめ」

また、一貫している事と表す意味で、「もっぱら」と読まれ、

全体を表す意味で、「すべて、みな」の意味に使われます。

 

 

「一」の個性


小学校一年生で学習する、一画で構成された文字。

部首は「一」。見出しも「一」。

書道では、もっとも難しい文字です。

たった一本の線だろ?と思うのに、

どうしても満足いく線を引くのに相応の時間が費やされる、

不思議な文字です。

僕の浅い経験でしか今はお話しできませんが、

おそらくは、起筆から収筆までのパターンが無限と言ってもいいほど存在する事と、

一番苦労するのは、

書かれるもの。この場合は半紙ですが、

「どこにこの字を構えるか。」

文字の出来栄えよりも、空間が主張を行いますので、

画数の少ない文字は、文字数の構成に関わらず、

空間をどう見せるか。という課題になります。

「一」は、ほとんどの漢字の要素にもなっているので、

まずは、自らの起筆と収筆をどういったイメージで創り上げるか、、。

ほら、たった一画なのに、こんなに語っちゃうでしょ?

そういう文字です。

 

 

一つの憂いは、一つの喜びのため

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「一」という文字は、「すべて」「もっぱら」という意味を持つと、

前述させていただきました。

人の基準というのは、どうしたって、良くも悪くも自分が判断基準になります。

比較対象を作ると、上下ができるし、優劣も生まれます。

苦しみを取り除くには、これを気持ちに置かないのが一番良い方法だとは思います。

ですが、生きていれば、大なり小なりの比較の中で生きて行くのは必定。

これを気にせぬようになるには、心の目(見抜く力)の鍛錬と、

歳を重ねるしかないのです。

その人にとってどうでもいいことは、果てしなくどうでもいいことだし、

その人にとって気になることは、地球の裏側まで掘り進んで行っても気になること。

大切なことは、気になる、気にする自分に、心を支配されないことです。

ちょっとの失敗や選択の誤りが、その後のやることなすこと全てを支配して行くかというと、

確かにそうかもしれませんが、それは、目的に向かって行く経緯が変わるだけで、

方向が変わるわけではありません。

目標が定まったもの、目に見える見えないに関わらず、

「人は観ている方向にしか進まない。」

いつか、友人が僕に教えてくれました。

現実を細かく見て、分析しながら物事にあたることはとっても重要なことです。

でも、それがすべての答えを教えてくれて、より安全に自分を誘ってくれるのか。

それって、その時点がゴールになってしまったりしませんか?

これは、世の中の色々なことに投げかけられる疑問だと思います。

分析しすぎて情報を集めすぎて混乱をきたして、方向を見失っていないか。

成功か失敗かは、たどり着かない限り、わからないのです。

ただ、人間は、到着した途端、それが通過点という駅名に名称が変わります。

 

一つの憂いは、一つの喜びのために生じるもの。

一喜一憂の言葉の如く、またその逆も然り。

ただ、一つ一つを気にしながら生きて行くこととは、

思っている以上に、体力も要るし、タフさが必要で、多くのものが消費されます。

そうまでしなくとも、

すべての憂いは、すべての喜びのため。

とザックリ捉えれば、心の浮き沈みも緩やかになり、

心も「太く」できるのではないでしょうか。

 

本日はちょっと長くなってしまいましたね。

 

長い時間を割いていただき、誠にありがとうございます。拝